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衆院選が近づき、民主党の政策の財源題がとみに議論されている。
その際、これまで(前回参院選まで)自民党支持者であった私がいつも疑問に思うのが、これだけ財源を厳しくしてしまった政権与党としての過去への反省はないのか、という点である。
現在、我が国の国債が約800兆円の規模に上ることはご存じの方も多いと思う。
国債は国民への国の借金だから気にする必要はないというあまりに本質を理解しない発言が、同じ自民党支持者で多いことにも辟易とする。
国債の意味を論ずる際には、まず国債(国の借金)とは何かと、日本国の歳出の内訳を知る必要がある。
まず、国債とは、日本国政府が発行した、借金手形であり、その引き受け手は、主に国内の金融機関である。
簡単に言うと、国民のみんなが銀行などに預けている金は、国債の形に化けているわけだ。
当然、国債(国の借金)が返済できない状況(いわゆるdefault)になると、国民の預貯金が消失することとなる。(形としては、銀行が倒産し、国の借金が原因なので国も救うどころではなく、預金は返ってこないという経過になる)。
そのような基本を理解した上で、現在の我が国の歳出と歳入を見てみると、
http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/siryou/002.htm
このHP(財務省のHP)を見ていただくと分かるように、我が国の収入の23%(約1/4)が、借金返済に充てられている。
しかも、我が国の収入は、38%を借金に頼っている。
要するに、毎年38%ずつ借金しつつ、23%の借金返済をしているという、とんでもない状況だということがこれだけでわかる。
これから分かることは2点ある。
1)もしこれまでの借金がなければ、今の国家の出費(歳出)は23%も増えていたことになり、様々な財源問題はそれだけで解決する。
2)借金返済額より新たな借金の方が多い。すなわち、借金を返済できなくて、さらに借金を重ねているにもかかわらず、返している額より新たに借りている額の方が遙かに多い。
ということである。
国債の発行を正当化する論者を多々みかけるが、その理論は単年度の景気刺激策では成り立っても、長期的には成り立たない。このような状況が続けば、国家財政が破綻するのは当然の帰結である。(具体的には、歳出に占める借金返済の金額がさらに増大していき、その増大した歳出を埋め合わせするだけの借金ができなくなり(簡単に言うと、国内の金融機関などに、「莫大な借金のうち今年23億返すから、かわりに38億追い貸ししてね」という国の要求に応えることができなくなる限界点が来る。)
私は保守主義者であり、日教組などの主張には、その偏狭さに非常な危険性を覚える。
民主党が政権を取る未来には強い不安感を感じる。
しかしながら、このような状態になるまで財政を悪化させたこれまでの政権与党に、財源について語る資格はないと思う。
結局、今の政権は官僚に政策立案をゆだねており、財務官僚は、基本的には自らの任期の財政の辻褄を合わせることが最優先であり、自分が退官した後の長期的な国家ビジョンより単年度の予算の辻褄が重視されるから、それが積み重なり、このような惨憺たる事態に陥ってしまっているのだと推測する。
しかしながら、抜本的に財政問題を解決しようとしても、現在の歳出を決めるスキーム(前年度予算を前提にし、それに何%増減するかどうかを業界団体や族議員との交渉の末に決める)というのでは、大きな変化は正直難しい。
私が民主党の政策で、本質が解っているな、と思うのは、「歳出について、前年度の予算をベースにするのではなく、0ベースで考える」と言っている点である。
民主党のマニュフェストには、目立たないがそのように問題の本質に切り込んだ主張がいくつか見受けられ、その意味では政策に期待感を持ってしまう自分がいる。
いざ民主党が政権を取った場合、そのようなよく理解している政策中心の議員達の党内権力基盤が希薄であるが故に、絵に描いた餅で終わる不安はあるのだが・・・・
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法律に関して素人なのでよくわからないのだが、今回の新株予約権に対する仮処分は、ニッポン放送の新株予約権の発行が合法かどうかが問われているのであり、
ライブドアの株取得手法がTOB規制に抵触するかどうかは、別件ではないのだろうか。
「ライブドアの株取得方法がグレーゾーンだからフジ側の新株予約権発行も大目に見てくれ」という主張はナンセンスなような気がする。
なぜなら、フジ側の新株予約権の差し止め仮処分で問われているのは、村上ファンドも述べているとおり、株主総会も経ずに既存の株数を大きく上回る新株予約権を発行するという行為は既存の株主に対して不公正ではないか、株主の利益を著しく損なう恐れのある行為ではないか、そしてそのような観点から法的に差し止める必要があるのかどうかということであり、それはライブドアがどのような手法で株を手に入れたのかということとは本質的には無関係だからだ。
ライブドアの株取得手法がTOB規制に抵触するかどうかという件に関しては、法的に明らかにしたいのであれば、フジ側がその件に関して提訴等のアクションを行う必要があるのではないだろうか。
法律に詳しい方がいればその辺はどうなのか教えていただきたいのだが・・・・。
病院を受診される患者というのは、当然ながら、いわゆる高齢者が多い。
中等症以上の高齢者の一人暮らしというのは大変だろうと誰でも想像がつくが、実際の問題として彼女らに接していると(高齢の一人暮らしは女性の比率が高い)、身につまされるものがある。
そういう中で、ある一人の、70台の、身よりのない入院患者がいた。
入院加療後彼女の病気は小康状態となり、身の回りの世話をする者さえいれば退院可能だったのだが、彼女は独身で、身よりといえば違う県に住む姉しかおらず、その姉とも疎遠で、ムンテラ(病状説明)を聞きに病院に来さえしない関係だった。
こういう場合、我々医療サイドとしては、患者の生活に不安を抱えつつヘルパー頼りで退院させるか、病状は安定しているにもかかわらず老人病院に社会入院の形をとるかくらいしか選択肢がない。(地方都市の基幹病院の場合、重病人が集まってくる関係上、治療が一段落ついた患者を長期入院させるのは難しい)
(当時は介護保険はなかった。余談ではあるが、介護保険制度というのは、問題点が多々あるにせよ、こういう切実な問題が目の前にあり、行政はなんらかの現実的な対応を迫られていたという背景があることは認識しておく必要がある)
しかし、彼女の今後のことを相談するために、何とか知り合いに連絡を取ってもらおうとソーシャルワーカーに当たってもらったところ、彼女は実は創価学会員であったことがわかり、創価学会の支部の友人という方が病院に来られた。
状況を説明すると、彼女は、こともなげに、普通の身の回りの世話なら私達がするから問題がないと答え、話はトントン拍子に進んで無事退院となった。
その後の定期的な外来受診にも学会の誰かが付き添ってこられ、おおむね問題ない生活が送れているようであった。
こう書くと、創価学会が慈愛にあふれた慈善事業を行っているように聞こえてしまうが、実は私は必ずしもそうではないと思う。
患者は資産家ではなさそうであったが、少なくとも住居は所有していたし、年金も受け取っていた。それなりの見返りはあったのかもしれない。しかし、身よりのないこの患者にとって見れば、例え遺産が全部創価学会行きになるとしても、身の回りの世話を見てもらえるのであれば取引としては悪くないし、時間の制約があり事務的なヘルパーなどよりはよほど良いであろう。
debateとは、要するにあるテーマについて賛成派と反対派に分かれて論じ合う頭脳的ゲームである。
その際には、自派の言論的な勝利が目標であり、そもそもその自派の主張が正しいのかどうかということは問題にされない。
もちろん、この手法には長所もある。
両陣営が頭脳を駆使して自陣営を支持する論説を戦わせていくうちに、
説得力のない意見は淘汰され、議論はお互いに高められていくという点である。
言いっ放しの論説に比べ、洗練された、論理的には隙のない論説の形成には有効である。
そして、お互いの意見を戦わせることにより、お互いの意見に対する理解が高まるということもある。
だが、論説の説得力、特にその分野に対する十分な知識がない人たちに対する説得力とは、なんであろうか?
この手法では、ややもすると、言葉を巧みに操る技術論にのみ重点が置かれ、また社会的事情の影響なども受けやすく、
真実や正しい解決法を導き出すという議論の本来の目的であるはずのことから大きく外れていってしまうことも多い。
アメリカの陪審員制度における弁護士などはわかりやすい例であろう。
また、このような議論のやり方は、上述したように結果的に優れた結論を生み出す舞台にもなりうるが、そのためには2群に分ける線引きのやり方が重要である。
例えば、くだんのプロ野球再編問題に対して、こちらのblogで、ファン側に立つかオーナー側に立つか明確でない意見には価値がないという風に書かれているように思えるが、果たしてそうであろうか?
プロ野球再編問題というのは、パリーグが慢性的な赤字でセリーグも放映権収入の減少が予測されるという現状の中で、どのようにすればプロ野球という興行を盛り上げていけるか、その手法を模索するのが本来の目的である。
ファン側かオーナー側かという議論の戦わせ方は、その解決法を探るのに有効な方法であるとは思えない。
こちらの記事に、「赤い人は赤いブログを書くべきだし、我が保守陣営は極力その主義主張に沿った内容で一貫したほうが議論になる」とあるが、
欧米のようにあらゆる政治的意見を革新と保守の2種に色分けしてしまうことが果たして意味があるのだろうか?
さらに、日本でいう左・右という2色に分けてしまうのは、欧米的な保守と革新の2分論よりももっと違和感を感じる。
次のような考えを持つ人がいるとしよう
「米国より中国に親近感を感じ、これからの日本はアメリカより中国と関係を深めるべきだと考えている。両国の外交関係を考えると首相の靖国参拝は反対である。
また、現状の無理な憲法解釈での自衛隊のイラク派遣は、不誠実であるし、憲法というものの存在価値を揺るがすもので、到底容認できない。
しかし、紛争地域における国際協力はおこなうべきで、そのためには十分な武装を持った部隊はやはり必要であり、そのためには憲法を改正する必要がある。
戦争は反対であるが、適切な軍事力を持つことは抑止力となりかえって平和には必要だと考えている。
中国と関係を深め真の良い隣人関係を築くには、逆に対等な軍事力の存在は不可欠である。
政府は当然、国民の福祉に責任を持つべきであり、北欧のような福祉国家を目指すべきである。そのためには増税はやむをえない。
中絶は殺人と同じで日本ではあまりに野放しに過ぎる」
この人の主張は、左であろうか、右であろうか? 一貫性がない支離滅裂な意見であろうか?
最後に
debateよりdiscussionを。
宮台氏の意見は、理論的に思考している部分もあれば、一面的で不必要に扇情的・挑発的な表現も多く、どうも理性的な議論より好き嫌いによる結論が先にありきという香りも漂っているのだが、人質事件後の家族の発言に対する容赦のないバッシングについて、「明日は我が身」的な「立場可換の想像力」がないからだという指摘は、その通りだと思う。
非拘束名簿式比例代表制についての説明は「司法試験受験生の部屋」に載っているが、実にバカげた制度である。比例代表制でも個人名で好きな候補に投票できるというのを売りにしているが、そもそも比例代表制というのは候補個人ではなく政党で代議士を選ぶための制度であり、個人名で投票させるなら比例代表の意味がない。候補者個人を選ぶなら普通に選挙区制でいいわけであり、自分の選挙区だけではなく国全体からで選びたいというなら全国区という選挙区を適当な定員で作れば良い。
おかげでなにか全身の力が抜けてほんわかした気分になれた。
どうやらこれはこちらのページにあったものらしい。
私は物理系じゃないので、よくわからないのもあるが、やっぱりこれが一番よくできてるなあ・・
私からもひとつ・・「ふぃぎゅあのサイズかえた。今日はそれでいいよ」
*注) ふぃぎゅあとは図表のことです。怪しげな人形のことではアリマセン・・・・